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-バックナンバー- 2002年1月号 | ||||||||||||
明治20年に武庫川右岸に誕生した「宝塚温泉」は、宝塚の名前を歴史に残し、街が繁栄してゆくきっかけになった。万博のころには県下でも屈指の入浴客数を誇るほど賑わっていた温泉街も、時代とともに様変わりし、現在では温泉のある旅館・ホテルも3軒のみになってしまったが、「湯のまち宝塚の復活を」との街の願いがこの度実現。泉源を掘削し、老若男女が一緒に楽しめる21世紀型のリゾート施設「宝塚温泉」が、安藤忠雄氏の斬新なデザインで宝来橋のたもとに誕生する。 |
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宝塚の名を世に広めた温泉の起こりは、 明治20年 「塩尾寺観音縁起」に「室町時代、武庫川の岸辺に噴出している冷泉に入浴して、女性の病気が治った」との記述が見られるほど、宝塚の温泉の歴史は古い。
縁起の良い宝塚の名を取って「宝塚温泉」として営業を始めたのが明治20年で、 旅館分銅屋の創始者である小佐治豊三郎が中心となり、武庫川右岸での炭酸泉の掘削に成功。今から114年前に現在の湯本町に温泉場を開設した。 |
震災を乗り越え、新しいスタイルの「宝塚温泉」が復活 温泉を再び…という声はかねてからあったが、宝塚市は市民、観光客に街の発展の源である「宝塚温泉」を再認識してもらおうと、平成3年から空中地下探査法による新たな泉源の調査を開始。平成5年には泉源掘削候補地を武庫山2丁目に決定し、市民の憩いの場で観光スポットともなる温泉施設の建設事業にも取り組み始めた。施設の用地は、武庫川右岸の宝来橋のたもとで、宝塚温泉発祥の地ともいえる旅館分銅屋があった湯本台広場近く(水明館跡地)に確保。市が動かなければ、眺めの良さと便利さで、おそらく高層マンションが建ってしまっただろうと思われる場所だ。平成6年には、天保山サントリーミュージアムや淡路夢舞台など、水との共生空間づくりにも優れた、関西出身の世界的な建築家安藤忠雄氏に設計を依頼したが、翌年の阪神・淡路大震災で計画は凍結してしまった。
湯めぐりが楽しい水着着用のバーデゾーンは絶景 宝塚駅に降りると、南正面にドーンとそびえる「宝塚温泉」。武庫川沿いの一面は澄んだ水とピュアな自然をイメージした総ガラス張り。三角、丸、四角が組み合わされたミュージアムのような、斬新なデザインの温泉施設だ。
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